釣り堀には、たくさんの釣り人が集まっていた。
釣り人はみんな真剣な顔つきで、巨大な真っ黒い箱の中に釣り糸を垂らしている。
どこにでもある釣りの風景だが、ただひとつ違うのは、釣り人の横に置かれている物はバケツではなく、小型のテープレコーダーだということだろう。
『もう頭が見えてますよ、はい、ヒッヒッフー』
『ああ、駄目だ、破産だ』
『カーリー女史、3番の資料をくれ』
様々な囁きが、耳に流れ込んでくる。
ここは【声】の釣り堀。
池の中に入っているのは、年代も国も主も不明な【声】。
【声】がどこから来るのかは、誰も知らない。
時空を流漂っている【声】を捕まえているのだと、釣り堀の親父は言っていた。
釣り人はここで【声】を釣り上げ、テープレコーダーに録音する。そして競い合うのだ。
僕は昨日と同じ場所に腰を下ろした。昨日、ここで聞いた【声】が忘れられなかった。
『聞こえてますか? 私の声、届いてますか?』
カセットテープを回すと、雑音に混じって、少女らしき【声】が再生された。
『……私の声、届いてますか?』
宛先の無い声は、時を超えて、僕に語りかけているように思えた。
鑑定士に聞かせたところ、雑音のぐあいから、約200年前の声ということだった。もちろん声の主は、もうこの世にいない。
【声】にも著作権があって、死後五十年以上を経ていると鑑定された【声】は、無断で公表することができる。
もし上手く釣れたら、『月刊 声釣り』に投稿しようと思っていた。
続きを釣ろうと、僕は今日もテープレコーダーをセットし、大きな黒い箱に糸を垂らす。
さっそく、【声】が針にかかった。釣り上げる。
『……今日もお話ししていいですか?』
彼女の声だった。再度、釣り竿を振りかざす。
その時、隣の方から声がした。
『お母さんが、病気になって……私、どうしたら』
少し大人びた彼女の声だった。別の釣り人が彼女の【声】を釣り上げたらしい。
彼女は僕に話しかけているのに……と、嫉妬のようなものを感じた。僕はそれを振り払うように、あらためて釣り堀へ針を投げ入れる。
すぐに次の【声】が釣れた。
『明日のパンが買えなくなってしまいました。……あとは体を売るしか……』
【声】は嗚咽で終わっていた。僕は急いで次の一投を準備する。頭の中が、彼女の泣き声で一杯になった。
しばらくして、糸を【声】が引っ張った。僕は勢いよく引き上げる。かなりの大物だ。
『……こうやって、あなたに語りかけるのも、これが最後になるかもしれない』
小さな声。彼女は元から小さな声だったが、異常なほど小さい。
どうやら、ひどく弱っているようだ。耳をそば立てると、【声】は続いている。
『……いくら語りかけても、何も答えてくれないあなたを恨んだこともあったけど……でも、今は……感謝しているの』
そこで声は途切れた。
彼女は今、死にかけている。恐らく娼家で、たったひとりで逝こうとしている。釣り竿を持つ腕が震えた。
それなのに、僕は何もできないでいる。ただここで、彼女の声を釣り上げて聞いているだけなのだ。
急いで竿を振りかざした。
何としても、彼女の【声】を釣り上げなくてはいけない。彼女をひとりで逝かす訳にはいかない。
その時、また隣から【声】が聞こえてきた。
彼女のかすれた【声】が、風に乗って耳に届いた。
『……ありがとう、神さま……』
僕は釣り竿を置いて、立ち上がった。ズボンのしわを伸ばし、辺りを見渡す。
釣った【声】を聞き返している者や、竿を垂れながら居眠りをしている者など、様々な釣り人が、それぞれの休日を楽しんでいる。
僕はテープレコーダーから、彼女の声が詰まったカセットを取り出した。
そして、釣り堀の中心に据えられた、巨大なゴミ箱に向かって放り投げる。
カセットは軽い音を立て、廃棄テープの山の中へと紛れた。
「キャッチ・アンド・リリース。これが【声釣り】の基本ですなぁ」
声をかけられ隣を見ると、髪に白いものの混じった男性が、僕に会釈をしてくる。
彼女の最期の【声】を捕らえたのは彼だろう。
彼は自分のレコーダーからもカセットを抜き、僕に続いてゴミ箱へと投げ入れた。
男性は大きくのびをし、僕に向かって言った。
「どうです、そこの喫茶店でお茶でも。このあいだ釣った『老夫婦の痴話ゲンカ』の話をお聞かせしましょうか」
「おもしろそうですね」
僕は微笑みを返し、再び廃棄テープの山を眺めた。
<了>
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
- 2006/05/17(水) 13:53:16|
- SS
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しかし、まだまだ未熟ですので、これからは茶器などにもこだわって、一層精進していきたいと思っております。
- 2006/05/30(火) 23:04:54 |
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- 三昧 #mA5Wklfo
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