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三昧箱

小説・文章などを置いています。迷走中。

「葬送」5

   三

 ヒロを幼稚園へ送り届け、その足で仕事へ向かった。電車が地下に潜り、自分の姿がドアガラスに浮かび上がる。はっきり言って、ひどすぎる。眉毛が薄く消えかかってるのもアレだが、右側に固まって跳ねている寝癖は耐えられない。
 これというのも、ヒロの弁当のせいだった。幼稚園には弁当が必要だということを、私はすっかり忘れていた。結局、朝から近所のコンビニに走り、三八〇円のコンビニ弁当をヒロの弁当箱に詰め替え、「愛がこもってへんなぁ」と愚痴るヒロに、「明日、もう一回チャンスを下さい」と謝ると、「あしたは土曜日やから、弁当はいらん日やねん。……百合ちゃん、あのな。もうちょっと、考えてから喋りぃや」と諭された。本当に一体、誰がこんな言葉をヒロに使っているのかと思う。

 葬儀会館内の更衣室に入ると、誰もいなかった。どうやらみんな、給湯室の方へ出払っているようだ。ロッカーを開け、扉に付いてある鏡を見ながら急いで眉を描き、ついでに口紅も塗っておく。次に、変な方向に曲がっている髪を、更衣室の机に転がっている誰の物か分からないヘアワックスで撫でつけ、ゴムで一つに縛る。ヘアワックスのプラスチック容器の蓋に、黄色く固まったワックスがこびり付いている。とりあえず、今は見ないことにした。
 壁を見ると、カレンダーの横に、A4版のコピーが三枚並んで押しピンで貼られてある。それぞれの紙には、【一号館・伊藤家】【二号館・金城家】【三号館・藤田家】と大きく書かれている。名前の下には、各々、「祭壇・白木一級」だとか「宗派・浄土宗」だとか「僧侶・二名」だとか、葬式の詳しい情報が記載されてある。
「……今日は、葬式三件か」
 不謹慎だが、会社は毎日毎日よく儲けているな、と思う。同業他社との競争はあるけども、人が死ぬ限り、葬儀屋稼業は潰れない。特に今年のような寒さ厳しい冬には、目に見えて葬式の数が増える。
 ロッカーからメモ帳を取り出し、壁に貼られたコピー紙に近づく。【三号館・藤田家】の紙に、「佐々木・根来」と、ボールペンで小さく走り書きされている。今日、私は、佐々木さんと一緒に【藤田家】の葬式の担当か……と思った一呼吸後、
 あれ? と違和感を覚えた。
 確か【藤田家】は、昨日、高山さんと佐々木さん、二人の担当だったはずだ。隣の【二号館・金城家】を見ると、「高山・山田」となっている。高山さんとペアを組む「山田」という人物は知らない。おそらく、新人だろう。
 普通、通夜と葬式は、なるべく同じ人間が担当することになっている。これだと、高山さんが【藤田家】から、【金城家】の担当に変わったようだ。葬儀告別式の時間を見ると、高山さんが担当する【金城家】の葬式は、私と佐々木さんが担当する【藤田家】の葬式よりも一時間早い。
 昼から、何か用事でもあるんだろうか? 高山さんの赤い唇が浮かぶ。輪郭のぼやけた黒い男性の人影に、笑顔を向ける高山さんを想像しかけ、慌てて打ち切った。

 葬儀会館の敷地に、葬式を行う斎場とは別に、小さなプレハブ小屋が建てられている。ここが、葬儀スタッフの本拠地となる給湯室だ。
「おはよーございます」
 アルミのドアを開けると、もわっと蒸気の塊が顔を包んだ。
 八畳ほどの給湯室に二台置かれたコンロの上では、巨大なダルマやかんと、おしぼり用の蒸し器が、競うようにして湯気を巻き上げている。真ん中に置かれたガスストーブも相まって、部屋の中の熱気は凄まじい。
 ちょうど奥にある窓を開けようとしていた佐々木さんが、こちらを振り返って笑った。
「おはよー、根来ちゃん。今日は【藤田家】、よろしくね」佐々木さんのショートカットの髪は、湯気で濡れている。
「あ、こちらこそ、お願いします」
「そうそう。今日はちょっと大変よ。亡くなった藤田さんだけど、現職の学校の校長先生だったのよ」
 佐々木さんは巨大なダルマやかんをコンロから下ろし、急須に湯を注いだ。この急須も特大サイズだ。
「ということは、生徒や教え子が、たくさん来ますね」私は、紙コップをお盆いっぱいに並べて言った。
「長引くから嫌なのよねえ、学校関係者は」佐々木さんは、急須を回すように揺らしながら、私に笑顔を向ける。「ここのところ、ややこしい葬式が続くわね。……ほら、昨日、根来ちゃんが入った葬式も、自殺だったって言うじゃない?」
 会話の内容を無視すれば、まるで「今日は絶好のピクニック日和ね」とでも言いだしそうな笑顔だ。でもこれが、葬儀斎場の日常だ。
 佐々木さんは、お盆の上に並んだ紙コップから二つ取り、急須の緑茶を注ぐと、自分と私の前に置く。部屋の真ん中にある机の上を見ると、籐で編まれた菊の花を入れる籠や、焼香鉢、抹香や線香、それに新しい記帳台紙など、葬式に必要な物が全て揃えられている。
「すいません。本当なら、私が用意すべきだったんですけど」
「あぁ、良いのよぉ。どうせ、ちょっと早く来すぎただけだし」
 お茶にフーフー息を吹きかけながら、佐々木さんはパイプ椅子に座った。
 一見、おっとりしているように見えるが、佐々木さんは誰よりも仕事ができる。逆に言えば、できすぎるため、高山さんを初め、古参のパートや営業社員から「苦手」とされている感がある。できなくても疎まれ、できすぎても疎まれる。世の中は、ややこしいが単純だ。
 私もパイプ椅子に座り、お茶を引き寄せる。紙コップを揺らすと、薄緑色の中を、細かい茶葉がゆっくり回転しながら沈んでいった。
「あ、そうそう、根来ちゃん。昨日、高山さんから聞いたんだけど、甥子さんを預かってるんだって?」
「えっ、あ、はい」
「いくつ?」
「五歳ですね」
「大変でしょ、それくらいの子供は」佐々木さんの目が細くなった。
「振り回されてますね」昨夜のことを思い出し、「ほんとに」と付け足した。
「うちみたいに、子供四人とかになると、もう、ほったらかしなんだけどねえ」
「四人ですか……」
 ヒロが四人いるところを想像し、軽く目眩がした。
「一番上が、大学二年でしょ、次が高三、中三、小五……。受験生が二人もいるのよ、頭が痛くなるわあ」
 佐々木さんが言うと、ちっとも痛くなさそうに聞こえる。このまま行くと、来年は大学生が二人だ。頭よりも懐が痛いはずだ。佐々木さんが、何年も葬儀屋で働いている理由は、子供の学費のためか、と納得する。
「そう言えば、根来ちゃんって、良い大学出たって聞いたことあるんだけど……」佐々木さんが少し声を潜めて言った。
 佐々木さんは知ってるはずだ。私の口から言わせたいのだろう。
「良い……か、どうかは分かりませんけど」
 大阪府内にある公立大学の名を挙げた。世間的には上の下くらいだが、こういう場でどういう評価を受けるのか、私は嫌と言うほど知っている。
「凄く良いじゃないの! 営業でも、なかなか、そんな大学出てる人いないわよ」
「あんまり……大学は関係ないですよ」
 関係が無い訳ではないが、大学名が効力を持つ生き方と、効力を持たない生き方がある。私は後者だ。
「ねえ、うちの子に、英語とか数学とか、教えてくれないかしら? ちゃんと時給は払うわよ」
 佐々木さんが、長身を乗り出してきた。元々、これを言うつもりだったのだろう。
「受験勉強なんて、もう、全然覚えてませんから」
「時給、二千五百円でどお?」
「いえ、ほんとに……。その金額なら、もっと良い家庭教師が見つかりますよ」
 時給どうこうではなく、仕事の人間関係を他の場に広げるのが嫌だった。
 ふと、高山さんが急に【金城家】へ変わったのは、佐々木さんが、私に子供の家庭教師を頼むため、高山さんに【金城家】へ変更するよう頼んだのではないかと思った。
「……そう言えば、高山さん、【金城家】に変わったんですね」
「そうなのよー。高山さんが、自分で言ってね」
 受験の話を中断してしまったが、佐々木さん自身は、全く気にしていないようだ。ニコニコ笑いながら、急須のお茶を自分の紙コップに注ぎ足している。
「あ、そうなんですか……」
 予想が外れ、また、赤い唇の高山さんが浮かんだ。
「ほら、あの人、在日だから」
 佐々木さんの言葉に、一瞬、思考が止まる。
「えっ、あー……」
 そうですね。も、そうだったんですね。も、そうなんですか。も、そぐわない気がした。
「あっちの方式に詳しいから、朝鮮式の葬式には、なるべく高山さんを担当にしてるみたいよ。会社側も」佐々木さんは、急須を持って私の紙コップを覗き込み、全然飲んでないじゃないの、と笑った。「ほら、あっちの人って、通夜の席で親戚にキムチ配ったりとか、出棺の時、みんなで叩頭したりとか、色々、こっちと違う作法があるじゃない? やっぱり、詳しいスタッフが付いてると、遺族側も安心するしね」
「あー……そうなんですか」
 佐々木さんの言う「あっち」に、特別な色は無い。私だけが、ひとりで緊張していた。
 今まで、朝鮮や韓国の知人がいなかった訳じゃない。大学にも何人かいた。ただ彼等の場合は、最初から「あっちの人」だと分かっていた。後から出自を知るのは、初めてだった。
 高山さんが「あっちの人」だからといって、これから何かが変わる訳じゃない。仕事も変わらないし、高山さんも変わらない。ただ、自分だけが変わってしまった気がした。
 私はゆるい怯えを感じた。高山さんに対する怯えではない。自分の中に生まれた、暗く沈殿する感情への怯えだ。私は、今までと同じように高山さんと話ができるだろうか? と考えてしまっていた。
「えーと、それ……高山さんが在日の人だってこと、みんな知ってはるんですか?」
「ええ、まあ。大抵は知ってるんじゃない? 別に、本人も隠してないみたいだし」
「ああ、そうなんですか」体の緊張が少し緩んだ。
「まぁ、『あっちに帰ったりしないの?』って聞いたら、『一度も行ったこと無い』って言ってたから、生まれも育ちも日本みたいだけど」佐々木さんは、ゆっくりお茶を啜った。
 私の頭に、『一度も行ったこと無い』と言った時の高山さんの表情が、なぜかはっきり浮かんできた。
「『ヨン様の国じゃないの。良いわねえ』って」
「……それ、言ったんですか?」
「私、イ・ビョンホンが好きなのよねえ」
 佐々木さんは、照れたように笑う。恐らく、高山さんにも同じことを言ったのだろう。鳩尾がキリっと痛んだ。
「それで、高山さんは……何か言ってはりました?」
「え? あぁ、高山さんは、韓国ドラマとか見ないらしいわ」佐々木さんは立ち上がって、急須を洗いはじめる。そして思い出したように、「『あなたたちの世代は、そうだろうね』みたいなことを、言ってた気がするわねえ。もっとこう、関西弁で」
 『あなたたちの世代は』という言葉が突き刺さった。佐々木さんの見ているものと、高山さんの見ているものは違う。佐々木さんはそれに気づいていない。そして、私達の世代もまた、違うものを見ている。どれも側面の一つに違いない。なのに、どうしてこんなに、それぞれが遠いんだろう。
「私、関西に来たの、結婚してからなのよねえ。だから、いつまでたっても上手い関西弁が喋れないのよ。……前は、家で練習してたんだけど。『なんでやねん』とか『アホちゃうか』とか。ふふ、馬鹿みたいよねえ」
 蒸し器のおしぼりをホットウォーマーに詰め替えながら、佐々木さんが独り言のように喋っている。その後ろ姿と自分の間に断絶を感じた。恐らく、高山さんも感じただろう。そして、私と高山さんの間にも、深い断絶は横たわっている。高山さんは、今までに何度も私の背中に断絶を見てきたのだろう。私が、そのことを知らなかっただけで。
「さあ、行きましょうか」佐々木さんが、『できるパート』の顔で振り返った。
 私は冷めたお茶を飲み干し、テーブルの上の籠を抱えた。蒸気で曇った食器棚のガラスを見ると、ヘアゴムからはみ出した髪が、変な方向に跳ねていた。
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  1. 2007/03/03(土) 14:39:28|
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