宮原昭夫『作家が明かす小説作法 書く人はここで躓く』ずいぶん前に読んだので、どんな内容かは忘れてしまいましたが……
色々と読んだ時のメモが残っているので、良かったんだと思います。
以下は、重要だと思った箇所。
またの名を、自分用メモ
<シーンと配列>「思いつく順」と「書く順」は一緒でも良いが、「書く順」と「読ませる順」は違う
<小説の構造>・小説というものは、人生のなにかしらの曲がり角を捉えて書くものだ
・小説とは一種の時間芸術で「設定」から「新局面」までの時間的「展開」の中で、主人公その他の人間像と、
人間関係を書き出しつつ、それが変質していく軌跡をとらえるものだ
・「設定」とはストーリーのことではない。いわばストーリーの発端のことで、その小説に出てくる主要人物たちの「人間像」や「人間関係」やそれぞれの置かれている「状況」のこと。
そしてそうした設定の中に仕込まれていた要員から、必然的に起こる人間関係の変化の家庭が「展開」で、その変化によって人物達の間に生まれた今までとは違う人間関係を「新局面」と呼ぶ。
・設定の「後出し」は禁じ手(伏線もなく、ラストへ突入…みたいな)
・設定の「継ぎ足し」は「展開」ではない。
ストーリーの展開とは、設定の中に含まれる葛藤が、作中の時間の経過の中で状況や人間関係や心などに作用して引き起こす必然的な変化のこと。
・設定の「取り消し」は「新局面」ではない。
小説における「展開」「新局面」とは、あくまでも「設定」に真っ向から対決し、それを「乗り越える」ことで実現するものである。
●「設定の終わり」が「シーンの並べ替え」のはじまり
思いついた順に書き溜めたシーンをあらためて「読ませる順」に配列しなおす次期、というのが、ちょうどこの「設定」から「展開」へ移る境目のあたりになる。書き溜めたシーンをここで並べ替え、欠落したシーンを書き足したり、無駄なシーンを整理したりすることで、作者にもその作品の設定をあらためてきちんと把握しなおすことができる。
<効果反比例の法則>●相殺
一つの小説に、興味深い設定を二つ混ぜ合わせると、読者に対する効果は、二倍にならず二分の一になる
●相乗
設定の組み合わせ方によっては、相乗効果をあげることもある。しかし、かなり難しい。
●額縁小説
小説のはじめとラストに主人公の現在が書かれ、その中間地点に主人公の回想シーンがはさまるというもの。
メインは現在ではなく回想シ-ンにある。
確かな必然性によってこの形式が選ばれた場合でも、書き手によっては、作品の冒頭で現在のシーンが始まったか始まらないかのうちに、すぐさま回想シーンへ移ってしまわないように注意。
<フィクション>ノンフィクション…「10調べて1書く」
フィクション…「10作って1書く」
・一つの文章中のすべてのフィクションは、文章の表面の下で、互いに繋がっていなくてはならない。
文章中に出てくるフィクション…「水面上のフィクション」
それを支えているフィクション…「水面下のフィクション」
・フィクションを支える想像力には二種類のものがある
「着想力」(設定力)と「類推力」(展開力)。設定においては飛躍、展開においては正確、というのがフィクションにおける望ましいあり方かもしれない。
「作り話は事実に近いものにしろ、これは嘘をつく際の第一の、そして最古の法則である」(プロイフ)
「事実に近ければ近いほど、よりよい嘘になる。そして事実そのものは、それが利用できるときには、最善の嘘になる」(アシモフ)
<キャラクター・人間像>・人間関係は「放射線」ではなく「多角形」
水面下のフィクションを考える上で必要。
・枚数と人数
なるべく必要最低限にとどめる。しかし、水面下で他の人間との関係があることに留意。
<神は細部で罰したまう…デテール>・「必然性」と「一回性」
メインテーマと何の関連もない細部が、インパクトとリアリティを生み出している。
「フィクションで何かを書くとき、何かしらとても奇抜な、とっぴなことを…とてもありえないようなことを、ちょっとうまいぐあいにはさむと、そのフィクションがずっとほんとうらしくなる」
<短編>・「作って、書かない」という作業が重要。
<駄目な例>
・長、中編の粗筋だけを書く
・各シーンの中で、必要な「描写」の一部分を削除する。
<意図と結果>●予期せぬものを待つ
作者が、何かを創作しようと意図するのは、彼が何かしら人間についての発見をしたと感じた時でしょう。そして、その発見を作品の中で確認しようとして創作作業をするわけですが、その確認作業そのものが、確認を超えて、再発見を作者に促す…それこそが、真の意味での創作作業だ、ということ。
・(書いていく上で見つけた)新発見による作品内容の新しい飛躍、変質を、虚心に受け入れられる柔軟さを作者が持てるか否か、ということ。
多くの場合、作者は最初の意図に固執し、せっかく作品が自分で動き始めようとしているのに、何がなんでも自分の意図の方へ作品を引き戻そうとする。
予期せぬものを待つ心がけが肝要。
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- 2006/09/21(木) 22:30:13|
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この人の文章は、上手いとかではない。
ただ、ひじょうに味がある。
昭和初期の私小説のような内容に、文体の拙さがあっている。
整然としていないから、単語が、主人公の息切れが、鮮やかに入って来る。
あと、この作家の特徴は、「 。」のように、カギ括弧の中に句点を打っている。
【底本データ】
車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋)第119回(1998年上半期)直木賞受賞作。
寺島しのぶで映画化されている。
【冒頭部】
数年前、地下鉄神楽坂駅の伝言板に、白黒の字で「平川君は浅田君といっしょに、吉田拓郎の愛の讃歌をうたったので、部活は中止です。平川君は死んだ。」と書いてあった。
十数年前のある夜、阪神電車西宮元町駅の伝言板に、「暁子は九時半まで、あなたを待ちました。むごい。」と書いてあった。
いずれも私には関係のない出来事であるが、併しこれらの白黒の文字霊は、ある生々しい思い出として私の記憶に残っている。書かずにはいられない、呪いにも似た悲しみに、じかに触れたということだったのだろうか。
ええっ? そっから始まるの?
という冒頭文である。もちろん、話の本文とは全く関係ない。
【主人公(生島与一)と、仕事を求めに行った焼鳥・伊勢屋の女主人との会話】
さてそうして向き合って坐ったものの、女主人は口を開かなかった。俯き加減に何か考えごとをするかのように爪を噛んでいて、時々、恐い目で私の方を見た。珈琲が来て、匙で器の中をかき廻すようになってもまだ黙っていた。私はだんだんに堪えがたくなって来たが、またそうであるがゆえに意地で黙っていた。先に口を利いた方が自滅するのだ。
「あんた、戦争がすんだ時、年なんぼやった。」
「空襲の前の日の昼間生まれた、いうて聞きましたけど。」
「こうつと、ほんなら酉やな、三十三かいな。」
「ま、そうです。」
「うちは二十七で終戦や。」
「はあ。」
「ほの時、うちは泉州の岸和田におったんやけど、すぐに大阪へ出て来て、そなな年で進駐軍相手のパンパンや。」
あッ、と思った。
「なんやいな、ほなな顔して、パンパンがそない珍しいんかいな。」
「いや──。」
私はこの女の冷たい手の感触を思い出した。
「うちはアメリカさんから毟り取った銭にぎって岸和田のお父ちゃんのとこへ帰ったんや、赤いハイ・ヒールはいて。あ、そのハイ・ヒールもアメリカさんに買うてもうたんやけど。そしたらお父ちゃんどない言うた思う。」
「………。」
「ええ靴やの。それだけ。」
私はこの女が何を言いたいのか分からなかった。けれども、この女が己れの生の一番語りがたい部分を告げていることだけは確かだった。
ラストまで、この薄暗さが延々と続きます。
あと、普通なら御法度とされかねない、独特な漢字の使い方をしている。
車谷長吉は、1945年生まれなので……そんなものかな?と思わないでもないが、年齢にしては古い気がする。
(あまり分からないので、あくまでも気がする)
好きな文章なんですが、絶対に真似はできないし、しようとしてもいけない文章。
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- 2006/09/18(月) 12:45:57|
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村田喜代子『名文を書かない文章講座』葦書房非常にシンプル、かつ、美しい小説文章の書き方を教えてくれる本だと思いました。
以下は、重要だと思った箇所。
またの名を、自分用メモ
<推敲方法>・冷却期間をおく
・初稿と異なる書式にしてみる
(書式の変更、紙面の変更、行のずらし…等々)
・音読
○音読では見つけにくい文章○
1)「~と」の用い方。
本来、セリフとなるはずの言葉と、地の文がごちゃまぜになってしまう
2)「私」の出し方。
自分の文章にはどのくらいの頻度で「私」という言葉が出てくるだろうか。
文章に自信のある人ほど、「私」の出る回数は少ないものだ。
しかし、力があるので、必要なときもある。
・同じ言葉を重複させていないか
・助詞の「が」を重複させていないか
※修正部分は、耳と舌でみつける。
<導入部>導入部は大切なので、行をケチってはいけない。
・そろり、そろりと始めて、なるべく具体的な場面や、セリフから入る。
・人物や出来事は、一度に出さない。順を追って説明していく
<時制>回想で始まる文章は、
「今まで」→「それまで」
「今日は」→「その日は」
に変える。
- 2006/09/16(土) 21:03:23|
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二
「駅を下りたらすぐ分かる」と妹が言ったとおり、「ホシノ幼稚園」は駅の改札からでも見えた。
パステルカラーで彩られた門の周りはすでに閑散としており、お迎えのママさん達もいない。光る物を感じて上を見ると、門の上に、一目で新品と分かる監視カメラと赤色回転灯が備え付けられてあった。その硬質な赤い色に、意味もなく鼓動が早まる。
防犯機器に目を奪われていると、後ろから、「すいません」と声がかかった。思わず、ビクリと肩が震えた。挙動不審な動作で振り返ると、クリーム色のエプロンを着けた若い女性が、私の反応に驚いたらしく、笑顔を硬直させている。たぶんこの幼稚園の先生だろう。
「あの……お迎えの保護者の方、ですよね?」
「あっ、は、はい。ええと、ヒロ、江藤宏貴は……たしか、さくら組だったと思うんですけど……」
情けない声が出た。たぶん、顔はもっと情けないと思う。
「あぁ、ヒロ君ですね」女性はニッコリ笑い、少し首を傾けた。にこやかだが、目は笑っていない。「恐れ入りますが、どういったご関係でしょうか?」
免許証を見せても、名字が違うので意味がない。どうやって身分を証明しようかと思った時、幼稚園の奥から小さな影が跳ねるように走ってきた。通園カバンの影も、がっしゃがっしゃと一緒に踊っている。
「百合ちゃーん!」
子供の甲高い叫びが、脳に直接突き刺さった。ヒロ、と呼ぼうとしたが、きつく光る瞳に気圧される。
「ボクな、だいぶん待ったんやけど! 帰んのん、最後から三番目やで!」
タータンチェック柄の制服を着た甥が、腕を組んでこちらを見上げた。
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- 2006/09/15(金) 13:20:10|
- 長編「葬送」
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一
葬儀斎場は劇場だ。
主役は喪主、脇役に親族、観客は会葬者達。そして、役者が安心して舞台に立ち、観客を感動させるには、数多くの裏方が必要だ。全員で力を合わせて、厳粛で感動的な「お別れ」を作り出す。
大阪S市の葬儀会館。この巨大な複合施設には、三つの葬儀斎場が入っている。ここでは元旦を除いて、ほぼ毎日、葬式という名の「公演」が行われている。
私のような葬儀アシスタントは、さしずめ、観客誘導の係員か、役者の付き人といったところかもしれない。
『……では、今一度、合掌をお願いします』
マイクを通して、葬儀会社の社員の声が響く。霊柩車の周りを取り囲んだ何十人もの会葬者が、一斉に手を合わせて頭を下げる。
私は制服のポケットから白い塊を取り出した。
これは、書道用の半紙で幾重にも包んだ、故人の茶碗だ。迷わず成仏してもらうために、茶碗を割る。「帰ってきても、もうあなたの御飯はないんですよ」という意味があるそうだ。家族にそう突き放される方が成仏できないんじゃないかと思うが、そういうしきたりらしい。
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- 2006/09/14(木) 20:54:24|
- 長編「葬送」
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